住宅は人にやさしかった

私は最近 、これからの住環境、 さしずめ 住宅がどうなって行くのだろうか 危惧している。 かつて、住宅は 人に やさしかった。 住む人に合う、 質の良いものを 作ることが 、 私は 建築を携わる者として 一番大切なことだと思って いました。 そこで競い合いながら 良質なものを 作り上げてきた。 良質なものとは 、長持ちして メンテナンスも少なく 何年経っても 飽きることなく なじんで住むことのできる 固有の住宅だと思う。 でも 、今、住宅は 違う方向に ベクトルが 向いているみたいです。

質で善し悪しを決める時代は終わってしまったのでしょうか。 住宅の質の価値感が 違ってきたのでしょうか。 本物でない 安く見栄えの良いものが 優先して使われて建てられている。 住宅の価値は 、住宅性能の 数値で表される。 機能ばかりが優先され、 工業製品だけで固められ 、手作り感のない 味気ない 住宅に なってきたような 気がする。 若い人たちは 経済的にも大変なので 安く使いまわしの良い住宅を求めるのは仕方がないと思います が、 子供たちのためにも 手作り感のある 自然味あふれる住宅を建てて ほしいと思います。

過去の住宅には 、個性や手作り感があり 、 数値で表せない 良いものが いっぱい 詰まって いました。 今はそれを求めなくなってしまった 。さみしい気がします。高気密、高断熱、省エネルギー性、耐震性、私も基準以上の数値で 長期優良住宅として 家を建てていますが 、家づくりは それだけではないと思います。 一番大事なことは居心地だと思います。 居心地は数値には表せません。 時間をかけて 丹精して作ったものは 愛情があり味が出てきます 。自然のものには ぬくもりがあり 数値で表せない普遍的な優しさが伝わってきます。 自然素材で作られた家は 調湿効果があり 暑さや寒さも緩和します。 そして化学物質も おさえられます。 そういう住宅に住むことが 健康維持にもつながり、本物の中で 過ごすことで 住む人の五感が養われます。 そして 少しずつ 住む人に 住宅が溶け込んで行き 心地よく 過ごすことができます。 丹精込めて作ったものは ふと目に触れた時 温もりを感じるのではないでしょうか。 そこが住宅にとって一番 大切なことだと思ます。

今の時代 、現在 、壁仕上げ 、造作材、 ドア 、床にあってもビニール製品で出来上がっている。 本当に本物のようによく出来ている けれど、 手触り、足触り 、木の香りはないし 見た目の温もりも感じない 無機質な ものに感じてしまうのは 私だけなのでしょうか。

かつて、住宅はそうでなかったと思う 。その土地にあった 風土にあった 家づくりを してきたと思う 。日差しが強ければ 軒先を長くして 、直射日光を避け 畳や物の傷むのを 守ってきた。塩害 があれば 鉄の物は使わず 銅 や ステンレスを使うことで 耐久性を 高めた。 エアコンがない時代 、夏の暑さに耐えきれなければ 、言うまでもなく 軒先を長くして 屋根を断熱性の良い 瓦 にして 南北方向に開口部を設け少しでも 暑さがやわ らぐように考えた。 庭に木々を植え そこから通り抜ける 自然の 風は エアコンの風より よっぽど気持ちよく 心地よく感じる。 風通しが良ければ 空気がよどむ ところがなく 、カビなどの発生を 抑えることができる 除湿機など 使わなくても済む 。 どの土地でも 決められた規格品を 使って建てるのではなく 、その土地の風土に 合わせた 設計し、適材適所の 材料で建てることが、 一番建物とって良いことだとと思います 。 そして、そこにしかない 唯一の住宅が建てられる。そこに住宅の価値があるように思えてなりません。

住む人にしかない唯一の住宅。 手作りのものは時間をかけて職人さんが作ります 。そのひとつひとつに 愛情が詰まっています 。自然のものは思い出とともに 、経年美化として 住む人を楽しませてくれます 。塗り壁 、無垢材 、タイル 、ステンドグラス 、造り付け家具、自然木のカウンター など使うごとに 愛着が生まれてきます 。その中で長年暮らすことは幸せなことだと私は思います

パナソニックを創設した 松下幸之助氏 も 晩年は 木の家を数多く別荘として建てたそうです 自然の中にいることが一番を 落ち着けたのではないでしょうか。

愛情あるものは 時間が経てばどんどん愛着が生まれてきます 。住まい手に寄り添って優しく包んでいやしてくれます 。そして、 美しくなり、 経年変化が愛しくなっていきます 。時代遅れかもしれませんが、私はこれからも、 今の考えで 住宅を作って行こうと思います。

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